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2006年6月18日 (日)

クライネス・コンツェルトハウス探訪

リハーサル真っ最中にお邪魔Photoしました

 /8の本番まで3週間を切った日曜日、西武池袋線秋津駅に近いハウスを訪ねました。午後5時からワールドカップの対クロアチア戦が始まる10時まで、ほぼぶっ通しの練習につき合ったのですが、その気になったのは、以下のようなメッセージを第1ヴァイオリン奏者の三戸さんからから頂いたからです。
甦るザルツブルク、ブラームスの夏・・・・三戸素子

 この夏、私たちクライネス・コンツェルトハウスは、ブラームスのクラリネット五重奏曲を取り上げる。
 3月に演奏したエネルギッシュで息詰まるようなピアノ五重奏曲と違って、このPhoto_1曲は内向的で渋い。
 ほとんど筆を措いたも同然だった晩年のブラームスが、クラリネットの名手の出によって触発され書き上げた作品だ。

 地位も名誉にも恵まれ、自らの力をことさらに世間に誇示する必要のない老ブラームスが、ただただクラリネットという楽器の表現力の可能性を追求した音楽である。Photo_2

 この曲を演奏していると、私は二十数年前ヨーロッパに留学した、はじめての夏を思い出す。
  学生時代からブラームスの交響曲やヴァイオリン協奏曲は大好きだったが、それはメロディーメーカーとしてのブラームスの見事な旋律に依るところが大きかった。しかし、音楽が複雑になり、メロディーがたどれなくなってくると混乱し、眠気をもよおした。

 それが留学先のザルツブルクでほかの音楽学生と交わり、音楽談義を交わPhoto_7し、彼らご推薦のジェシー・ノーマンの歌う歌曲や、ジョコンダ・デ・ヴィートの演奏するヴァイオリンソナタ第1番を聴いて、その霊妙な音楽表現に心ゆすぶられ、耳がひらかれた思いがした。

 そこでは、かぼそいまでに音が変化するにもかかわらず、その音楽は大きく太く、あたたかいのだった。 Photo_8

  あの夏のザルツブルク…、古い石畳、川沿いの散歩、郊外へのハイキング、木陰での昼寝、友人と集まってはたたかわす室内楽三昧の夕べ。

 その空気、時間、ゆったりした歴史の流れ、人間模様等々、いま思えばすべてがブラームスの室内楽そのものだった。

 簡単に追えたメロディーだけではない、音楽を構成するすべての響きの内部でうごめく様々なエピソードは、川のせせらぎであり、人間の心のすれ違いであり、太陽の陰りであって、すべて素晴らしい私たちの周囲を取り巻く自然の要素なのだ。

 ブラームスの音楽は曲が始まってしまうと、線を引くことも割りきることもできない。
 だが奏者の個々のパートが調和し、負荷をかけあうほどのバランスをとりえた時、演奏している私たちは言いようのない幸福感につつまれる。Photo_6
 悲しい響きも喜びに満ちた響きも、神様が創られた完全な世界に属するものだから。
 
人間的にもかかわらず、調和を実現することが可能だから。
 このクラリネット五重奏と共に、この7月クライネス・コンツェルトハウスで演奏するのは、やはりブラームスの弦楽四重奏曲第3番。この作品はより迷いなく自然と人間への讃歌がおう溢する音楽だ。
 コンサートに向けリハーサルに没頭していると、思いは日本を離れ、日常を離れ、あの初めてのヨーロッパの夏に翔ぶ。

7月8日、東京文化会館の小ホールで、あの時どころか、もし可能なら、百年もタイムスリップして、避暑地で夏を過ごすブラームスに会いたいものだと心の底で思っている。

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