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2007年9月16日 (日)

9月上旬に遭遇した名演奏

チューリッヒ歌劇場『ばらの騎士』(9/4)
二期会『仮面舞踏会』
(9/7)
東京アンサンブル第5回東京公演
(9/8)
三戸素子ヴァイオリンリサイタル(9/11)

 シーズン開幕の今月上旬、立て続けに素晴らしい演奏会に出会った。こんな幸せは過去に記憶がない。いつもは演奏評など後記事は書かないのだけれど、ひと言、記録に残しておくことにした。
 
チューリッヒ歌劇場『ばらの騎士』は、カサロヴァのオクタヴィアンを目当てに今年一番期待して出向いた催しだった。結果は期待した以上。カサロヴァはむろんのこと、元帥夫人、オックス男爵、ゾフィーの主役4人が全て名演技を披露する秀逸な公演だった。オケピットで手勢の歌劇場管弦楽団を束ねるのは、2010年からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが決まっているフランツ・ウェルザー=メスト。弦のアンサンブルは云うに及ばず管楽器のしなやかな音色は絶品。オーチャードホールはキャパ2000余の大ホールで、彼らがいつも演奏している1100人のチューリッヒ歌劇場より一回り大きいので心配したのだが、全くの杞憂だった。
 
二期会『仮面舞踏会』は、3日前の「ばらの騎士」の呪縛がまだ解けないうちに出向くことになったので、実は全く期待していなかった。が、どうやらそれが良かったようだ。陰影に富んだ照明に浮かび上がる舞台は、あたかも“真っ黒に塗り潰されたキャンバスに描かれた名画の連続”だった。すっかり失念していたのだが、この公演の演出は、あの粟国巨匠のご子息、粟国淳。さもありなん。彼の演出は、新国立劇場中劇場での『イル・カンピエッロ』(2001年)で、その垢抜けた力量を目の当たりにしたが、それ以来だ。樋口達哉の健気なリッカルド、それに初めて聞くアメーリア役の大山亜紀子は、大輪を予感させた。
 
東京アンサンブルは、ウィーン育ちの服部譲二が音楽仲間と2001年に立ち上げた室内合奏団。「聴衆を幸せにするアンサンブル」と謳われている。聴くまではどこか青臭いキャッチ・コピーだと思っていたのだが、いやいやどうして、それが本当なのだ。ショパンのピアノ協奏曲2番をフル編成の管弦楽ではなく弦楽合奏版で披露したのだが、ピアノがやたらに頑張らなくてよいからなのか、何ともフレンドリーなのだ。後半のブルックナー弦楽五重奏のアダージョとショスタコーヴィチの室内交響曲もしかり。これなど、フル編成の交響曲だったらまず聴きに行く気にならなかったろう。服部も子供のころ親に連れられていったウィーンフィルの演目がブルックナーと知ると、「行きたくない」とごねたそうだ。
 三戸素子ヴァイオリンリサイタル、これも、これまでのご縁がなかったら、まず聴きに行かないだろう、後半の演目がチェコとロシアの20世紀音楽で、ヤナーチェク晩年のソナタ、それにプロコフィエフのソナタ第2番。ひと言もわからないチェコ語のオペラをプラハで観た三戸は、“ドラマの劇的な瞬間はその音楽が持つ抑揚ですべて理解できた”という特異な経験をしたそうだが、そのヤナーチェクの独特の声色が楽器で表現できなければ、「この曲はただの不協和音の連続である」と云う。が、私は拒絶反応を起こすどころか、光と影が醸しだすヤナーチェク独特の世界に引き込まれたのだった。プロコフィエフも然り。三戸が、「プロコフィエフが楽譜に書いた音のもっと外側で彼には聞こえている美しい現実離れした響きをたぐり寄せられれば・・・」と云う意味が、わかったような気にしてくれる演奏だった。

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