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2008年1月24日 (木)

正月の交響楽団の出来栄え、三題

大友/都響(東京文化会館ニューイヤーコンサート・1/3)
秋山/東響(第552回サントリーホール定期・1/19)
ヒュー・ウルフ/読響(第96回東京芸術劇場マチネ・1/20)

 元旦はウィーンフィルのニューイヤーコンサートの衛星中継も見ずにメールで賀状の返礼。コンサート事始めは、3日の東京文化会館ニューイヤーコンサートから。一昨年までは休憩時、ロビーで獅子舞の余興もという正月ならではの催しだ。会館の音楽監督大友直人が都響を振ったのだが、、、
 第1曲目が何とモーツァルトの交響曲41番。のっけの前座に『ジュピター』をもってくるのは、聴くほうにとっても奏でるほうにとっても、無謀と思えるのだが、臆した通り。2曲目のベートーヴェンの『運命』共々、何とも気の乗らない凡庸にして平板な演奏。二千円から六千円と手頃な値段の名曲コンサートなので、これまでクラシック音楽に馴染みがなかった初心者も多いはず。しかし、これでは、とても彼らがリピーターになるとは思えない。何しろ「まだやってるの」と、私も含めて退屈して腕時計を見てしまう御仁がチラホラなのだ。
 通常、男性楽員が殆どの第1ヴァイオリン奏者が、この日は八割以上が女性。正社員は正月休みで、殆どエキストラなのだろう。だから、こんな稚拙な演奏になったと思いきや、休憩後を聞いてビックリ。ドヴォルザークの『新世界より』が、仰天の名演奏なのだ。これはどうしたことか? やれば出来るのだから、やらなかったということになる? 前の二曲は殆ど練習をしなかったとしか考えられない。
 19日の東響は桂冠指揮者・秋山和慶の正月公演だ。数年ご無沙汰していて、本当に久しぶりだった。男女とも濃紺の礼服が特徴だったのが、普通の黒にかわっていた。
 老練にして誠実な秋山のハイドンの交響曲「驚愕」。次いで、前橋汀子を迎えての、諸井誠のヴァイオリン協奏組曲、これもしなやかな仕上がり。どちらも東響らしさが伺えて、秋山健在なり。で終わると思いきや、休憩後のリヒャルト・.シュトラウスには度肝を抜かれた。
 R.シュトラウスといえば、「ナクソス島のアリアドネ」、「ばらの騎士」、「サロメ」、「エレクトラ」など、歌劇ばかり見てきたので、『家庭交響曲』など初めてだ。「作曲者自身の家庭を描写した曲で、妻子に献呈」というから、‘おもちゃの交響曲’のような、たわいない曲を想像していた。ところが、どっこい、彼一流の壮大なオーケストレーションが目の前に展開したのだ。
 私はこう思った。もしこれをベートーヴェンが聞いたら、それこそ、青天の霹靂、仰け反って椅子から転げ落ち、しばし気絶すること間違いなし。いやはや、これまで‘目眩く’などという形容詞を使ったことがないが、ここでは、これが相応しい。恐れ入谷の鬼子母神、先ほどの、思わず時計を見てしまうのとは正反対だ。時折、コンサートミストレス大谷康子がコンマス席に座ったままソロをとるのだが、それも絶妙の弓捌き。休憩前の前橋が霞んでしまうほどだった。
 霞んでしまうといえば、三題目、読響の指揮者ヒュー・ウルフだ。足を怪我したのだろうか松葉杖で登場したが、記憶に確かなのはここまで。というのも、前半がモーツァルトのヴァイオリン協奏曲2番と3番で、ソリストがライナー・ホーネック。ウィーンフィルのコンマスに就任したのが1992年というから今年で16年目という超ベテランなのだ。休憩前に元が取れたかのように聴衆は大満足。後半のブラームスの交響曲3番はもうひとつ別の催しのように思えたのだった。一粒で二度美味しい、と云うより、ひとつの催しで二粒の珍味を味わうこととなった。

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