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2009年11月 8日 (日)

オーストリア・ハンガリー
ハイドン・フィルハーモニー

指揮:アダム・フィッシャー
ハイドン没200年記念来日
12/3(木)pm7:00091203_2
サントリーホール


 これ以上長い楽団名が他にあるだろうか。「オーストリア・ハンガリー・ハイドン・フィルハーモニー」(以下「ハイドン・フィル」)が、ハイドン没200年の記念で来日する。まずは楽団名の由来からご説明しよう。
 ウィーンの南方50㌔にハイドンが30年間も仕えた領主エステルハージ家の本拠地アイゼンシュタットがある。1987年、そのアイゼンシュタットで開催されたハイドンフェスティバルを主宰したのが指揮者アダム・フィッシャー。「ハイドン・フィル」は、その時に設立された祝祭管弦楽団が母胎となっている。
 以来、エステルハージ宮殿内のハイドン・ザールで、ハイドン時代の音楽を中心に演奏活動を続け、今では広く欧州各地のホールや音楽祭に招かれ、高い評価を得ている。 そもそもエステルハージ家は、ハプスブルク帝国、後のオーストリア・ハンガリー帝国に忠誠を誓った最大の領主。また、指揮者のフィッシャーは、ブダペストに生まれ、リスト音楽院で学んだ後、ウィーンで研さんを積み、欧州の多くの指揮者のように数々の劇場でオペラを指揮してきた。
 その彼の考えは、「オーストリアとハンガリー両国から優れた音楽家を集め、ハイドンの作品を共に演奏することで音楽的に国境を克服しよう」というもの。東西冷戦時代、「鉄のカーテン」が崩壊する2年前のことだ。フィッシャーのこだわり、お分かりでしょうか。 ハイドンはエステルハージ家で3代の領主に仕えた。が、彼を召し抱えた次の代は音楽を解さず、楽団は解散され、ハイドンは年金生活者にされてしまった。でも、全くしばられずに生活していかれるありがたい身分ともいえる。ウィーンで学び、1791年から2度、ロンドンへ渡り、大成功を収めた。ハイドンの有名な作品の多くは、このイギリス滞在中に作曲されている。104曲残した交響曲のうち93番以降は特筆されてよい。
 今回演奏される2曲の交響曲はいずれもこの時期に完成している。第101番の初演は1794年のロンドン。第2楽章のリズムが時計の振り子を思わせることから後年「時計」の愛称が付けられた。 交響曲第104番は、翌年、当地で作曲され、「ロンドン」の愛称で知られる。
 彼より24歳若輩のモーツァルトが、オペラと協奏曲に卓越した才能を発揮しているのを目の当たりにして、その分野には足を踏み入れなかったのだが、トランペット協奏曲は、長年の友人が発明した画期的なトランペットを駆使するために作曲したという。この新しい楽器なくしてはあり得ない、逸品なのだ。今回はウィーン・フィルにトランペットソロ首席として15年在籍したハンス・ガンシュが共演する。
 さらに、今回はシュミーディンガーに委嘱したバイオリン協奏曲「ハイドンへのオマージュ」が初演される。その独奏者にはカナダ在住の小林響が起用された。彼女は14歳のとき来日したイスラエル・フィルに感銘して単身イスラエルに留学した才女だ。 http://www.proarte.co.jp/
注:チラシは、右クリック、「リンクを新しいウィンドウで開く」で、拡大できます。

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