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2010年4月 8日 (木)

東京ユニバーサル・フィル
指揮:三石精一 第27回定期演奏会
《R・シューマン生誕200年記念》
5/22
(土)
pm2:00
東京芸術劇場大ホール

・4本のホルンのための小協奏曲へ長調 作品86
・ピアノ協奏曲イ短調 作品54
・交響曲第3番変ホ長調「ライン」作品97100522

 生誕200年のシューマン・イヤー。“どの楽団もできれば避けて通りたい”というシューマンの交響曲に作曲ごころを併せもつ三石精一が挑戦、「敢えて、火中の栗を拾うことにした」という。
  「ドイツの古い指揮者たちが重厚なイメージを与え続けて、益々退屈な演奏を繰り返してきた彼の交響曲を、この機会に新しい感覚で捉なおして演奏をしてみたい」というのだ。
 それにしても、何故、シューマンの交響曲は退屈な演奏になってしまうのだろう…その疑問にマエストロが直球で応えてくれた。丁寧なコメントなので、かなりの長文ですから、本論と各論の2回に分けて配信します。
 シューマンは20代の全てをつかって、溢れるばかりの霊感を注ぎ込んだ数多くのピアノ曲を作曲しました。それは珠玉の傑作ばかりです。そして、クララの父との長い惨めな争いの結果、やっとクララとの結婚に漕ぎ着けた1840年には、138曲ものドイツ歌曲の至宝とも言うべき数々の名作を書き上げ、後世になって、ドイツ浪漫派を代表する大作曲家としての評価を得るに至りました。ですが、あれほど苦労した末にやっと結婚出来たクララが、余りにも著名な大ピアニストであったために、終始彼女の名声の陰に隠れ、彼の存在は無視されることが多く、繊細極まりない彼はひどくプライドを傷つけられていたようです。
 何とかクララをしのぐ名声を得て、経済的にもクララに負担を掛けることなく、自分自身で一家を養いたいと考えたかも知れませんし、クララの勧めも有ったかも知れませんが、1841年になって突然、管弦楽曲の作曲に取りかかったのです。 恐らく、サロンでしか発表の場が無いピアノ曲や歌曲のみの作曲ばかりでは、世間の名声を勝ち得ることが出来ないと考え、悩んだ末に大ホールで発表し多くの聴衆の賞讃を受けられるかも知れない交響曲やその他の管弦楽曲、特にオペラの作曲に意欲を燃やすようになっていったのだと思います。その方向のみが彼の音楽家としての存在証明になると考えたのかも知れません。しかし、本来、心の底からのロマンティストで、形式を無視する反古典主義の作曲家なので、ベートーベンのあまりにも偉大な業績の後、古典的な形式を無視できない交響曲の作曲は彼の守備範囲を超えたものでした。彼自身も当然それを自覚しいたでしょうし、次第に襲ってくる精神異常への恐怖とも戦い、同時に訪れて来なくなった霊感の涸渇に悩みながら、新しい世界を求めてもがき続けた後半生だったのだと思います。交響曲にしてもオペラにしてもとにかく構成ということに余り興味が無かったのか、もともとその能力が足りなかったのか、彼の管弦楽曲に非常に多く見られるモティーフの単調な繰り返しや、余りにも幼稚な対位法の取り入れや、その他の色々な努力の甲斐も無く、結果的に退屈なものとなってしまうことが多くなってしまったのは事実です。
 元々彼の才能は瞬間的なひらめきの素晴らしさが特徴なのですから、さながら、詩人であって文豪ではないのに不向きな長編小説にチャレンジした作家のようなもので、痛ましい思いがしてなりません。
 そうした瑕疵にどう対処するか…、その秘策は、明日までお待ちください。
http://www.mitsuishiseiichi-uniphil.com/index.html
注:チラシは、右クリック、「リンクを新しいウィンドウで開く」で、拡大できます。

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