宮本文昭が初めて振った《第九》
東京シティ・フィル東京文化会館・12/28
宮本文昭が“生まれて初めて振る《第九》”を12/28、東京文化会館で聴いた。来春、音楽監督に就任することが決まっている東京シティ・フィルの特別演奏会だった。この日の演奏を聴いた人は幸せだ。おそらく今年のベストスリー、いや、きっと最良の演奏といってもよいだろう。
前日に聴いた《第九》はスクロヴァチェフスキ指揮のN響公演だった。御歳88歳という老練なマエストロの、この暮れ5公演目で最終日だという演奏とは条件が違いすぎて比べられるモノではないが、この宮本の演奏で私の体内記憶は“オール・クリア”、宮本公演に完全に上書きされてしまった。
日ごろ、「良質なピアニッシモを実現することでオーケストラの表現の幅が広がる。そのために指揮者がいるのだ」というラトルの言葉を引いて、“ピアニッシモで感動させることが出来るのがホンモノ”がわたしの口癖となり、だから“第三楽章あっての《第九》”なのだが、昨夜それを目の当たりにした。
だが、この日の発見はそればかりではなかった。第二楽章の存在に今更ながら目を奪われたのだった。
ロマン派以前の四楽章建ての交響曲は第二楽章が緩楽章と決まっている。急緩急の三楽章の最後の楽章がスルツォ(もしくはメヌエット)とフィナーレに分かれて4楽章建てになった、と教わった。
でも《第九》は、その唯一の緩楽章の第二楽章が第一楽章より早いモルト・ヴィヴァーチェ。そして第三楽章がアダージョで、そこがこれまでと決定的に違う。
なのに、これまで聴いた演奏の第二楽章は、‘第一楽章並みに早い’のであって、必ずしも第一楽章より軽快には演奏していないように思う。
それより何より、この日の宮本の演奏は、第一楽章から明らかに違うのだった。
スコアに書かれたどんな小さな音符も皆それなりに存在感を持って聞こえてくるのだ。ピアノの演奏で‘粒立ちのよい’音色という表現があるが、この日の宮本の演奏はまさにそれなのだ。その粒立ちの良さが、軽快なテンポの第二楽章で見事なまでに功を奏したのだった。管楽器も弦楽器も自分の出番をわきまえて、かといって決して出しゃばらず音量を控えめに一音一音丁寧に奏でている。彼の一挙一動がそのまま音になって私の耳に達し、体内に吸い込まれていくのだった。 Viva マエストロ宮本!
彼の次回の登板は、来年4/18(水)、音楽監督就任披露演奏会で、
東京オペラシティコンサートホールpm7:00開演だ。http://www.cityphil.jp/concert/c2012/list.html
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